maik20140710


【倉木麻衣×BARKS連載対談】第四回(2003年~2004年)
「初めてやらせていただくことが多い年だったので、すべてが体当たり」




第4回。
でもまだ10年以上前(・ω・)


倉木:学生をやりながら制作をしていく中で、ちょうど10代から大人に変わる時期のことを、そのまま投影した作品を作ったりしていました。自分の中での思い出のアルバムを作っているような感じもありましたね。


「10代~大人」というと、僕の中での理解では「FAIRY TALE」がそれにあたるんですが、それは2002年。
ツアーは年が明けてからも続いていましたから、そのノリを継続していた感じなんですかねー。

ライブDVDを見るとわかりますが、この「FAIRY TALE」ツアーあたりから麻衣ちゃんの歌唱力が飛躍的にUPしています。


これは僕が勝手に思ってるだけなんですが…


2002年に、ワールドカップのイベントで大きな野外ステージで歌ったじゃないですか?
あのときさすがに、堪えたというか、痛感したというか、たぶん、自分はこのままじゃダメだ的なナニか…

あれはキツかったと思いますねぇ……


西室:そうですね。その頃はずっと制作をやりながら、学校に通って、ツアーをやって、そのスタイルを崩さずにやってました。単独ライブ100回目という節目も迎えましたし。


「Wish You The Best」ツアー。


強引に言ってしまえば、倉木麻衣の活動は2つの時期に分けられます。
「Wishツアー」以前と、「Wishツアー」以後。

それくらい大きな出来事。


まさしく後に続く「倉木麻衣の方向性」を決定付けたツアーといっても良いでしょう。
それに、今残っているアツいファンのヒトたちって、この頃にアツかったヒトがほとんどだと思います。


倉木:苦い思い出を作る時間すらもないような……(笑)。

西室:思い出にひたっている時間もなかったんです。

倉木:ずっと走っていて、最初は苦しいけど、走り続けると楽になるということって、あるじゃないですか。

烏丸:ランナーズ・ハイですね。いっちゃってますね、やっぱり。


イッちゃった麻衣ちゃん(他意はありません)


僕も社会人になってみてわかりましたけど、本当に忙しいときって毎日午前様みたいな状況でもそれが普通というか?
後になってみれば信じられないような… 夜の11時過ぎに、昼の11時みたいなノリで上司と話し合ったり。

それも慣れちゃうんですよね人間って。
恐ろしいことに。


ただ…



2004年って、リリースは「Wish~」を除けばシングル「明日へ架ける橋」1枚……





…え?


烏丸:2004年には、ブログも始められてますよね。

西室:ミュージシャンのブログとしては、とても早かったと思います。ほかにやってる方はいなかったので。

西室:めっちゃ硬かったと思います(笑)。当時のブログって、今みたいに“どこそこに行って来ました”とか、軽い感じではなかったんですよ。“はじめまして、よろしくお願いします”みたいな、わりと硬い感じだったと思います。


そして僕にとっては最も大きい出来事、「Mai.K Diary」開設。


というか僕の場合、ネットを始めたのも2003年末頃だったんですけどね。
その頃がちょうど世間的にもADSLが登場して、超加速度的に普及していった時期だったと思います。

ミュージシャンどころか芸能人、有名人、いやもう日本人としても最初期ですよ。
全然知られてないと思いますけどスゴイんですよ「Mai.K Diary」


倉木麻衣のMai.K Diary : ステラボール☆


倉木:それは、この時期には感じていなかったです。むしろこの頃は、ある意味反抗期みたいな時期だったと言いますか。

倉木:もっといろんな自分を見せられるんじゃないか?とか、探っていた時期でもありました。ライブのパフォーマンスでも、普段はかぶらない帽子をかぶった り、髪の毛に初めてパーマをかけてみたり。ファッションもそうだし、楽曲に関しても、ロックな曲に挑戦したり、もっと違った一面を見せたいというところで の葛藤はありましたね。


楽曲、ルックス、活動方針、全てのことが賛否両論。
ブログ軍団、2ch軍団、ありとあらゆる価値観を持ったファンが入り混じって激論を交わした時代。

…というとなんとなくカッコイイですが、単に「荒れてた」いうハナシも(苦笑



と、最後の方には「Rits倉木麻衣メモリアルライブ2004」、通称「BKCライブ」の写真も出てきてますねー。
僕にとっての初参戦ライブは、今では考えられない夜間急行を使っての遠征でした。

あの頃は若かった、とにかく、若かった……



あれから10年( ・ω・)